ワンスアラウンドの『現場マガジン』 2022年8月17日号


皆様いつもお読みいただきましてありがとうございます。
ワンスアラウンド顧問の馬場です。
今週は、『マーケットレポート』の第26弾をお届けします。
コロナ禍でのマーケットの変化と、商業施設を中心とする現場の変化をタイムリーに捉えながら、 自らも現場を持つ弊社ならではの視点で、これからの時代へのヒントをお届けしたいと思います。

【Market Report vol.26】

駅ビルの中心、山手線はこうして出来た!
―今年、鉄道開通150年―

鉄道沿線開発のまちづくりにおいて、鉄道会社は大きな役割を果たしており、 ともに大きく成長してきました。
前回は、被災したまちの復興に向けて「まちの中心地にあった国鉄の駅」を駅舎だけではなく、 商業施設を併設した「民衆駅ビル」から「駅ビル型ショッピングセンター」へと確立させた国鉄(現:JR)の報告をしました。

今回は、首都圏東京の中心路線であるJR東日本「山手線」の歴史を振り返りながら、 鉄道事業とSCの今後について報告します。



江戸時代の町割りの中に敷いた「山手線」

現在のJR東日本「山手線」は環状線で、営業キロ数は34.5km、
駅数は30駅あり、約1時間で1周します。
起点は品川駅で、外回りは、渋谷、新宿、池袋方面、内回りは、東京、上野方面です。

山手線の駅及び周辺のまちの顔は、東側の海側ゾーンと西側の山手ゾーンで大きく分かれます。

東側は、日本を代表する企業が集結する丸の内エリアや官公庁が密集する霞が関エリア、 また、それを取り巻く銀座、日本橋等の商業エリア、そして新橋、品川、大崎等の大規模開発エリアがあり、 西側は、副都心と言われる新宿を中心として、恵比寿、渋谷、池袋においても大規模開発が実施され、 駅周辺を含めて「まちの顔」が大きく変わっています。

東京のまちは、
江戸時代は、江戸城(現:皇居)を中心にまちづくりが行われ、 周辺には有力大名の武家屋敷、商業ゾーンは日本橋につくられました。
当初は五街道の起点である日本橋の北側には伊勢商人が、南側には近江商人が集められたと聞きました。
その中心は、のちに「百貨店」へと発展した「呉服店」であり、 神田・日本橋・銀座エリアは、現在も日本の商業の中心地として発展しています。

明治に入り、江戸から東京となったまちづくりも大きく変化しましたが、鉄道の開通も大きな役割を果たしました。

当初は「環状線」ではなかった「山手線」

山手線は、1872年(明治5年)開業の「新橋~横浜間」と、 1884年(明治17年)に開業していた「上野~前橋間」との路線を繋ぐため、 1885年(明治18年)に「品川~赤羽間」を結ぶ「品川線」として開業しました。

この線の役割は、北関東の繭、生糸、絹織物などを 貿易港の横浜へ、また建設資材を青森などの東北へ輸送することでした。
開業当初の駅では、品川線と主要な街道が交差する 「板橋駅」(中山道)、 「新宿駅」(甲州街道・青梅街道)、 「渋谷駅」(大山街道)が開設されました。
当初の旅客列車は1日3往復しか走っておらず、
お客様も少なかったようですが、
今では信じられません。

その後、既に開設していた常磐線の起点「田端駅」と品川線を結ぶ新線を建設しました。
これは、常磐線沿線の炭鉱で産出する石炭を、東京や京浜工業地帯に輸送する目的があったそうです。 しかし、品川線との合流駅として広大な用地の確保が可能なことから、 池袋に駅を新設し、そこから分岐させたのが「池袋駅」です。
この田端~池袋間の区間は「豊島線」と呼ばれ
1903年に開業され、
途中の「大塚駅」「巣鴨駅」も開設されました。
この新橋~品川~新宿~池袋~田端間の品川線・豊島線の名称が「山手線」となりました。
そして、1925年(大正14年)になって、 やっと上野~東京~新橋間が繋がり、現在の環状線となりました。
実に、当初の品川~赤羽間の品川線開業からは、40年が経っていました。


上野~東京~新橋間の鉄道の開発に時間を要したのは、 前述の江戸以来の市街地(下町)が人口密集地域であったため、 鉄道用地の確保や、高架化工事をすることが容易ではなかったことが推測されます。


わかったこと。見えてきたこと。

 当初の山手線(品川線)は、貨物主体の路線だった


明治に入り、輸出品の輸出力向上や、産業発展のための工業エネルギー運搬など、 関東地方内陸部、東北地方、北陸地方と国内有数の貿易港であった横浜港とを結ぶ鉄道線が求められ、 それが品川線(現:山手線)でした。

具体的には、貨物輸送を充実させて、
  北関東の繭、生糸、絹織物などを貿易港の横浜へ
  建設資材を青森などの東北地方へ
  常磐線沿線の炭鉱で産出する石炭を、東京や京浜工業地帯へ
輸送する目的があったのです。

その後は旅客利用者も増えたことにより、順次「客貨分離」が図られ、貨物の輸送の多くは、 新たに他線(南武線・武蔵野線等)に振り替えられました。

さらに、高速道路の発達により、貨物輸送は鉄道からトラックへと変わりました。 列車密度に余裕が出来た貨物線は、通勤需要の高まりに応じて、
現在は、南武線・武蔵野線・京葉線は「第2山手線」。
そして、山手貨物線は「JR湘南新宿ライン・埼京線」として、 郊外居住者の通勤路線として旅客輸送を担っています。


ターミナル型百貨店出店が街の顔を変えた

品川線の開業当初の駅「板橋(のちに池袋)、新宿、渋谷」には、西側の私鉄各路線が乗り入れ、 起点(終着点)となりました。その後、各私鉄の沿線住宅開発がより進み、 新宿・渋谷・池袋などの駅は乗降者数が急増しました。

それに合わせて、東急・小田急・京王・西武・東武各社は、 大阪の阪急百貨店(梅田店)をモデルとしたターミナル型百貨店を出店し、 拠点ターミナル駅として、首都圏の発展に貢献しています。

前述した日本橋エリアの呉服店系の老舗百貨店に対し、ターミナル型百貨店と称され、 百貨店業界の新たな勢力となりました。

また、山手線内での駅ビルは、東京、池袋、新宿等で民衆駅ビルが開業しましたが、JRへの民営化後は、
現在、「ルミネ」と「アトレ」に集約されて、
 (株)ルミネは、「ルミネ」「ルミネエスト」「ニュウマン」
 (株)アトレは、「アトレ」「アトレヴィ」を展開しています。


貨物線を引き込んだ工場跡地の活用事例と
    未来に向けた、貨物線&拠点ターミナルの再開発


山手線が貨物線であった名残りですが、引き込み線を持った工場が、移転や業務見直し後の跡地に、 商業施設やオフィスセンタービルが開業しています。
 「恵比寿駅」 サッポロビール工場跡 「恵比寿ガーデンプレイス」
 「大崎駅」  明電舎大崎工場跡   「ThinkPark Tower」
他線でも同様の活用事例があります。
 宇都宮線 「川口駅」 サッポロビール工場跡  「アリオ川口」
 東海道線 「辻堂駅」 関東特殊製鋼本社工場跡 「テラスモール湘南」

山手線の貨物線内で残されていたのは、田町~品川間の寝台列車の車両センターですが、 「西日暮里駅」から49年ぶりの新駅として、 2020年に「高輪ゲートウェイ駅」が開業しています。

今後は、リニアの開業や羽田空港へのアクセスを見据えながら、 2024年に向けて「駅を中心とした新たな高輪の街づくり」を目指しています。

拠点ターミナルの活性化では、

「渋谷駅」 東急とJRとの一体化で再開発が進行しています
東横線が地下化してメトロと接続し、JRの埼京線ホームも見直され、まだ進行中ですが、 2027年の商業ビル西棟の完成が待たれます。

「新宿駅」 駅機能のセンターを甲州街道に合わせ、 念願だった北口の東西通路も完成し、スムーズな駅構内移動が可能となりそうですが、 西側では、小田急、メトロ、東急不動産は「西口ビル」、京王はJRとも連携した「西南口(高層2棟)」の再開発ビルを、 2020年後半から40年代に向けて開発を予定しており、「新宿駅」が、そして「まち」が大きく変わります。


新宿駅西口&西南口地区 再開発計画 イメージパース
左側:小田急西口ビル
右側:(赤線枠2棟):
    京王&JR西南口ビル
    (北街区、南街区)

*出典
  京王&JR 、小田急ニュースリリースより


待ったなし!鉄道の地方赤字路線取組み

コロナ禍を受け、外出の自粛やテレワークの普及で移動が抑えられ、都市部の利用客が減少し、 JR東日本の収支は赤字に陥っていますが、 7月末に「利用者が少なく赤字のローカル線(35路線、66区間)」を公表しました。

今年は鉄道が開通して、ちょうど150年。
路線別公表は初めてとのことですが、コロナ禍の長期化で旅客減が続き、 新幹線や山手線など首都圏のドル箱路線で、地方路線を支える余力がなくなって来ている状況に加えて、 予測される大地震や温暖化が一因とされる記録的な大雨や台風などの自然災害による大きな被害を考えると、 未来に向けての経営モデルの転換が求められているのではないでしょうか?

持続可能な交通体制に向けては
廃線により、バス輸送路線への転換や、自治体が線路や駅を保有し、 鉄道会社が運行を行う「上下分離方式」への転換など、 運営方式の見直しを含めて、公共交通の在り方が検討されています。

何れにしても、鉄道の社会性を鑑み、鉄道会社と地方自治体双方が、 必要なデータを開示しながら建設的に議論することが不可欠で連携が求められます。

持続可能なSCの未来に向けて

地方都市のみならず、都心部でも空床が増加していく可能性があります。
従来は、後継テナントは「商業事業者」(小売業・飲食業・サービス業)のケースが多かったですが、 今後は「非商業事業者」の誘致も増えていくのではないでしょうか?

コロナ禍でのテレワークの普及に伴い、フレキシブルなオフィスの導入も一例ですが、そこに存在する「空間・スペース」を、 「お客様が集まる空間として活用するには何が良いか?最も適しているものは何か?」 を柔軟に考えていくことが重要だと思います。

また、経年劣化したSCのスクラップアンドビルドや用途変更も行われていますが、 老朽化した設備や多くの空床を抱えたままでの営業継続よりも、コロナ禍を経験したことで 変化した消費者ニーズに対応した施設に生まれ変わらせる事業判断も必要かもしれません。

JRは既に、商業にホテル、オフィスを併設した施設を開発していますが、 今後は、昨年秋に開業した、商業施設とオフィスビルを融合した 「イオンモール名古屋ノリタケガーデン」 や、また立地よっては低層階が商業施設、上層階がオフィスや住宅などの複合施設といった 「不動産事業化」志向の開発計画の増加が見込まれますが、 不動産の価値を向上させていくことの中長期的なメリットは大きく、地域の活性化に繋がる可能性があります。

鉄道開業以来、日本の産業普及や高度成長を支えて来た鉄道のインフラモデルを、 今起きている変化から30年後を想定した、新しいインフラモデルづくりが求められているのではないでしょうか?

「インフラ」とは、「山手線のように新しい価値を生む孵化機能」です!



最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。

ワンスアラウンド株式会社
顧問 馬場 英喜


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